〈がん〉がんはチャンス? 父に冷えとりをすすめる

◎「マーマーマガジン・読マー」より引用  


http://murmurmagazine.com/column/girls26.html


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●がんはチャンス? 父に冷えとりをすすめる


( 第26回:読マー! 誰かに冷えとりをすすめたいときには 松井歌織さん)




奇跡というのは、自分自身に起こったときよりも、

身近な人の身に起こったときのほうが

驚きも喜びも大きく感じられるようです。


それは、その人に対する自分の思いこみも

まとめて覆してくれるからなのだと思うのですが、

今回、冷えとりを通して、わたしの父に訪れた変化は

まさにそういったものでした。


父は75歳で、つい最近肝臓にがんが見つかりました。

肝臓は以前から悪く、肺にも持病があり、

腰やおしりにも慢性的な痛み……と、

からだのあちこちに病気をちりばめたような父。

ことあるごとに、冷えとりをすすめてはきましたが

本人はなかなかピンとこないようで、

世代的に高度な西洋医学をありがたがる傾向も

否めません。


がんが発覚し、しばらく入院するとの

知らせを受けたものの、

実家は北海道、わたしは関東在住のため

簡単にかけつけることはできません。

もどかしい気持ちもありましたが、

何はともあれ、父には今度こそ冷えとりを

はじめてもらいたいと、

何度目かの挑戦で冷えとり靴下を

送ってみることにしました。


ただし、今回気をつけるようにしたのは

絶対にしつこくすすめないということ。

冷えとりがなぜいいのか、という要点だけを

短く、しかし熱く!伝えて、

あとは本人の判断を尊重しました。


冷えとりアドバイザーの鈴木洋子さんが

「誰かに冷えとりをすすめたいときは、

“その人の分”と思って自分の靴下の枚数を増やすといい」

と「生マー」でおっしゃっていましたが、

わたしも“父の分”と思って、あとはひたすら

自分の冷えとりに専念するようにしたのです。


父、靴下をはく。そして、はじまった変化!


病院での退屈さも手伝ったのかもしれませんが、

数日経って、父が靴下をはいているとの

報告が母からありました。

はじめは2枚。

絹の5本指と、綿の5本指です。


「どうせなら4枚! いや、もっと!」と

いいたくなる気持ちをグッと抑え、

電話で話したときなどにも

あまり冷えとりのことばかりを

いわないようにしました。


靴下のはき心地が気に入ったらしい父は

だんだん自分のほうから

「靴下、毎日はいてるんだぞ」と

いってくるようになりました。

そんなときには、

今がチャンス!とばかりに

「それはすごい!」

「とてもいいこと!」

と、ほめまくるようにもしました。


父がまず変化を感じたのは、

足のむくみがなくなったことだそうです。

自分のからだで変化を感じることが

冷えとりを理解する第一歩だと

喜んでいたら、

案の定、それから間もなく

父は靴下を4枚に増やしていました。


その後も、

「長年あった足のあざが消えた」など

本人にしかわからないような部分で

冷えとりの効果を感じていったようで、

実家では知らぬ間に、

「お風呂場を半身浴しやすいように改装する」

という話まで進んでいたりもして、

短期間にそこまで変わるものか!と

驚かされることになりました。


自然と薬を手放し、明るくなった父


1か月ほどの病院での治療により

父のがんは消えました。

入院中は体調が悪かったり、

気持ちが大きく沈むこともあって

一日中寝て過ごすことも多かった

と聞いていたため、

家に帰っても、しばらくは寝たり起きたりしながら

回復していくものと思っていましたが、

なんと退院したその日から、

古い風呂場を改装すべく、

あちこち出かけていたとのこと。


入院中寝てばかりいたのは、

毎日飲んでいた薬が原因だったようで、

退院とともに飲むのを止めてみたら、

一日中ふつうに起きて

日常生活を送れたのだそうです。


以前は気持ちの浮き沈みが激しく、

ネガティブな発言ばかりが目立っていた父でしたが、

退院後のようすは驚くほど明るく、

電話で話すと、声に張りもあって、

なんだかこちらも楽しくなってしまうような

雰囲気です。


子すずめ・くらぶの進藤幸恵さんに

北海道の冷えとりアドバイザーの方の連絡先を教えていただき、

両親に伝えたところ、

さっそく冷えとりの会に足を運んでくれたりもしました。

父は自ら絹のズボン下を買い、

靴下の枚数も6枚に増やしたそうです。


冷えとりで、自分の価値を思い出して


少し父の話をさせていただくと、

父はある業界のとても腕のいい職人さんでした。

現役のころは日本でも屈指の存在だったはずです。

日本中を飛び回って仕事をしていましたが、

年齢とともに現場を離れざるを得なくなり、

引退してからは、もうその高い能力を

生かす場所もなくなりました。

仕事だけに打ちこんできた人は

みんなそうかもしれませんが、

引退したあとの父は

仕事を失うとともに自分の価値も

失ってしまったかのように

しょんぼりとしていきました。


同じころ表面化してきたのは

父自身の幼いころのこころの傷です。

膝をつき合わせて父の生い立ちを

聞いたことはありませんが、

子どものころ、ある事件があって、

いわれのないことで

犯人の疑いをかけられたことがあった

と聞いたことがあります。

疑ったのは、ほかでもない

自分の母親だったとのこと……。


その話から想像するに、

父は充分に母の愛を受けたとは

いえなさそうで、

そのためか、父には

自分に対する肯定感がありません。


娘であるわたしに対しては

怒ったこともないような人ですが、

わたしの母に対しては、

幼いころ満たされなかった部分を

埋めようとするかのように、

わざと困らせる言動をとったり、

へそを曲げて何日もご飯を食べずに

抗議したり、と

いつも自虐的な行動で気を引こうとします。

ふつうのやり方では振り向いてもらえない子どもが

母親の気を引こうと、そうするように。


こんなことを娘がいうのは冷たいようですが、

ひっきりなしにいろいろな病気になっているのも

「病気にでもならないと自分は愛してもらえない」

と、どこかで思っているからなのだと感じます。


それらのことを全部ひっくるめて、

父にはなんとしても

冷えとりをしてほしいと思ったのです。

冷えとりを通して、

父に思い出してほしいのは、

仕事をしていなくたって、

病気になんてならなくたって、

お父さんはただ居てくれるだけで

価値のある存在なんだよ、

ということです。


もっと生きることを喜んでいいんだよ!

ということです。


自分の冷えとりが、誰かのしあわせに


わたし自身冷えとりをはじめてから

自分への肯定感が高くなって

人と比べたりすることが

なくなってきました。

でも、ほんの数年前のわたしは

まったく違っていたのです。


からだも不調でしたが、

何より自分に自信がなかった。

本来の自分の居場所ではないようなところに

自分を置いて、

ますます自分が活躍できないような状況を

つくってしまっていました。


当時を思い出すにつけ、

今、ワクワクしながら楽しく暮らしている

自分が信じられないような気がします。


冷えとりだけでなく、

『マーマーマガジン』で紹介された、

「ホ・オポノポノ」や瞑想などを

生活に取り入れたことで

自分の内側から変化が広がっていった

と感じていますが、

あの亡霊のようだったわたしにだって、

本来の自分の役割や価値に気づけたのだから、

それはきっと誰にだって起こるのだ、と

今では強く信じられるようになりました。


そのための入り口はいろいろあると思いますが、

冷えとりは最高の方法のひとつだということは

まちがいないと思うのです。


父に限らず、全部のいのちが

自分の価値に気がつける日が来ますように。

こころからそう思います。

救いようもなく青臭いことは承知ですが、

ひとつのこらず、どのいのちも。


そう思いながら、わたしは自分の冷えとりを

続けていこうと思っています。




すばらしいですね!!! もう、ことばもないほどです。男性、特に世代が上の方々に、冷えとり健康法(いや、ほかのものでも)をすすめるのは、なかなか難儀で、わたしも、「一番のすすめる方法はすすめないことだ」なんていったりしていますが、本当に、みごとでした。わたしも鈴木洋子さんがおっしゃっていた、「誰かの分、とおもって、自分がたくさんはく」という姿勢にとても共感しています。「え? それ、自分だけがよくなるんじゃない?」とはじめて聞いた方は思うかもしれませんが、でも、自分が変わることが、誰かを変える一番の方法なんだと、やってみるとわかりますよね。そのすばらしい例だと思います。ご家族が元気だとほんとうに、うれしいですしね。とっても元気の出るレポートを、松井さん、ほんとうに、ありがとうございました。


☆プロフィール

[まつい・かおり]

夫と子どもとの三人暮らし。最近、少しずつやりたかった仕事をはじめました。「仕事をはじめる自信や勇気がわいてきたのも、冷えとりのおかげです」。7号の「8人の冷えとりガールズが大公開 わたしと冷えとりファッション」にも登場しています