〈生き方〉日本中から笑われた夢…西野亮廣氏
◎人の心に灯をともす…より転載
https://ameblo.jp/hiroo117/
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●日本中から笑われた夢
西野亮廣氏の
心に響く言葉より…
2012年12月。
僕は、絵本『オルゴールワールド』のビラを1万枚刷って、都内を走り回っていました。
「ポスティング」というやつです。
都内は「チラシお断り」のマンションが多く、1万枚のビラはなかなか捌(は)けません。
11年間続いた『はねるのトびら』が3ヶ月前に終了し、つい最近まで全国ネットのゴールデンタイムに出ていた男が今はチラシを配っている…そんな姿を撮られたら、面白おかしく書かれてしまうことは目に見えていたので、夜な夜な隠れるように1万枚のビラを配りました。
寒さで手がかじかんで、思うようにビラが掴めませんでした。
1万枚のビラ配りは10日ほどかかりました。
効果はありませんでした。
それによって生まれたエピソードもありません。
これが挑戦の現場の現実です。
その頃から、「またダメだった」と考えることをやめて、「なるほど。このやり方は効果が出ないんだな」と考えるようになりました。
なんとかして前に進んでいる感じを出したかったのだと思います。
しかし、そんな調子で、溺れかけながらバタ足を続けていると、時々、岩場に足が着く瞬間があります。
2013年1月。
翌月頭に1週間ほどの休みを取る予定だったのですが、たいした効果も出せていないのに何を休むことがありましょうか。
何かカンフル剤となるようなアクションを起こさないと、この毎日から抜け出すことができないと思った僕は、「来月の休みを利用して、ニューヨークで個展をする」と言い出しました。
とてもシラフとは思えません。
何の実績もない男が仕掛ける、こんなデタラメな企画に賛同者が現れないことは容易に想像できたので、1から100まで自分一人でやることを覚悟しました。
ニューヨーク中の貸しギャラリーに「そちらのギャラリーをお借りできますか?来月なんですけども…」という狂気じみた連絡を入れ続け、門前払いの記録を更新し続けます。
周囲の人間はすっかり呆(あき)れ顔。
そりゃそうだ。
それでも諦めきれなくて、連絡を入れ続けたところ、数日前にメールを送ったギャラリーから返信がありました。
「貴方の絵に感動しました。スケジュール調整は簡単ではありませんが、なんとかします。ニューヨークでお待ちしています」
このチャンスを逃すと次がなさそうだったので、すぐに契約を進めました。
さて。
1ヶ月後にニューヨークで個展を開催することは決まりましたが、肝心の「予算」がありません。
日本から原画を運ぶにも、現地スタッフを雇って会場設営するにも、まとまった予算が必要です。
そのときに出合ったのが「クラウドファンディング」でした。
クラウドファンディングは今でこそ一般化しましたが、当時は誰も知らなくて、企画開始と同時に「宗教活動」「ネット乞食」「詐欺師」といった言葉をたくさん浴びました。
僕だけじゃなくて、僕を支援してくださった人まで攻撃されました。
「西野に騙(だま)されている」「西野信者」「目を覚ませ」と散々。
人はいつも、自分が知らないものを嫌います。
調べようともしません。
「知らない自分」を認めたくないのかもしれません。
そんな状況なので、ツイッターで呼びかけたところで、誰からも相手にされません。
どれだけ網を投げてもスルーされてしまうので、僕は網を捨て「モリ」に持ち替えました。
1万人に網を投げるのでなく、1人ずつモリで突き刺す作業を1万回繰り返すことにしたのです。
自分の名前で検索をかけ、僕についてツイートしてくださっている方(一人ひとり)とコンタクトをとり、「突然すみません。キングコングの西野亮廣と申します。実は、この度、クラウドファンディングというものに挑戦し…」という説明を何度も繰り返しました。
朝から晩までツイッターにヘバリついて、お相手の疑問には全て答え、2週間で700名以上の方とやりとりさせていただきました。
お叱りの言葉もたくさん頂戴しましたし、心ない言葉もたくさん浴びました。
その甲斐もあって、2週間で585名の方から、531万1100円ものご支援をいただくことができました。
西野を応援することにリスクしかない中、「行ってこい」と背中を押してくだった皆様には今も感謝しかありません。
すぐ近くで支えてくれたスタッフには、今後の人生をかけて恩返ししていきます。
なんとか予算は集まりましたが、今度は、あと2週間で「集客」の問題をクリアしなければなりません。
宣伝を手伝ってくれる現地メディアの知り合いもいませんし、そもそも、たいした結果も出していない日本の絵本作家の個展に、誰が足を運んでくれるというのでしょう。
ここでもやはり、一人ひとりに頭を下げて、お願いするしかありません。
「ニューヨーク 寒い」「ニューヨーク 美味しい」「ニューヨーク 混んでる」でワード検索をかけ、今現在、ニューヨークにいらっしゃる方をリストアップし、片っ端から「初めまして、キングコングの西野亮廣と申します。実は、この度、ニューヨークで個展を開催する運びとなり…」とコンタクトをとらせていただきました。
こちらも2週間で700~800名ほど。とほほ。
日本を発(た)つまでにやれることは全てやり、やっとの思いでニューヨークの個展がスタートします。
が、オープンして30分が経ってもお客さんは一人も来ません。
1時間経っても、1時間半経っても…誰一人としてギャラリーの中に入ってきません。
お客さんが一人もいないギャラリーで、ぽつねんと立っている僕は、きっと痛々しく見えたことでしょう。
スタッフは「かける言葉が見つからない」といった様子でした。
逆風吹きすさぶ中、僕の挑戦を応援してくれた人がいます。
このままでは日本に帰れません。
いてもたってもいられなくなった僕は、ギャラリーを飛び出し、街中でビラを配り、得意でもない英語で呼び込みをしました。
2月のニューヨークの寒いこと寒いこと。
それからしばらくすると、ビラを持った一人のお爺さんがギャラリーの中に入ってきてくださいました。
僕の海外の個展の最初のお客様です。
ところが、お爺さんは壁に並んだ絵本の原画を一瞥(いちべつ)し、すぐにギャラリーを出て行ってしまいました。
その瞬間、これまで必死で目を背けていた「負け」の文字が頭をよぎります。
「応援してくださった方にどう説明しよう」とも考えました。
しかし、その数分後。
なんと、そのお爺さんがギャラリーに戻って来てくれました。
今度は、お孫さんの手を引いて。
お爺さんは、僕の元に笑顔で歩み寄ってきてくださり、こんな言葉をかけてくれました。
「この絵を孫に見せたくて、急いで家に戻ったんだよ。もうすぐウチの娘達もココに来る。『日本から面白い男が来たぞ』とケツを叩いておいたよ。素敵な絵を描いてくれてありがとう」
物語りが動いたのは、そこからです。
堰(せき)を切ったように、お客さんがギャラリーの中に流れ混んできました。
あるお客さんは、ギャラリーの前に立ち、「騙されたと思って、ちょっと中を覗(のぞ)いてみろ」と通行人に声をかけてくださいます。
数時間後にはギャラリーはお客さんで溢れ返り、現地メディアが取材に来て、その様子は日本でもYahoo!のトップニュースで流れました。
お爺さんが来る前とは、まるで別景色です。
日本にいる間に、ツイッターでやりとりさせていただいた方も、お友達を連れて来てくださいました。
「西野さん、ここは挑戦者を受け入れる街です」という言葉が今も胸に残っています。
「1ヶ月後にニューヨークで個展を開催する」というデタラメな挑戦は、決して数字だけではない大きな成果を上げ、幕を下ろしました。
『ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある』kadokawa
ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある
西野氏は「成功の裏側」についてこう語る。
『メディアで報じられるときは、どうしてもスマートな部分だけが抽出されてしまいますが、裏側はこのとおり「ドブ板営業」の積み重ねです。
このことは全ての挑戦者と共有しておきたいと思います。』
多くの成功の裏側には、地道な努力がある。
スターや成功者の今の姿だけを見てしまうから、そこまでに到達するための「ドブ板の努力」が見過ごされがちだ。
世の中には魔法のような成功なんてない。
もし、あるとするなら、一瞬成功したとしても魔法のようにすぐに消えてしまう、幻のような成功しかない。
決してドラマにならないような、地道で単調な努力が功を奏するのが真の成功といえる。
日本中から笑われたとしても…
コツコツと努力を積み重ねる人には、いつか必ず光が当たる日がくる。
ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある
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