(写真)白い花◇行き方…樹木希林の祝儀不祝儀3000円の冠婚葬祭
小郡は植木造園がいっぱいあって花が好きな人には、天国みたいなところです。
昨日も名前も知らないお花さんと出会いました。
花の名前はもうすぐわかります。Amazonに2冊注文しています。
なんて可愛い花でしょう。
散歩が毎日楽しくてたまりません。
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◎100歳まで毎日すること‼️ ○❌つける
(昨日3月22日)
【1】散歩を10000歩は…○
・昨日はよく歩いた。2万歩以上歩いた。
【2】半身浴30分は…○
・1時間以上しました。ぐっすり眠れます。
【3】野菜スープを飲む… ◯
・昨日は野菜スープを作りました。前田先生の本を読んで本当によかった。具は人参、南瓜、玉葱、キャベツ、大根、ブロッコリー、トマト、ゴボウ、蓮根、生姜、ニンニク…水は容量の3倍…本当に美味しい。
【4】30回よく噛む…○
・酵素玄米は、美味しい。
【5】砂糖と小麦をやめる…❌
コンビニでソフトクリームを食べた。
【6】一日一食(果物、野菜スープは無制限)…❌
・やっぱり一食は私には、無理だとわかった。明日から1日二食にする事に決めました。
【7】スクワット30回…○
【8】ラジオ体操…○
朝と昼の2回しました。
【9】新聞の社説書き写す…○
【10】30分整理整頓をする…○
◇今日の猫川柳

・募集中 素人コスプレ 同好会
(猫がつぶやく猫川柳より転載)
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《今日の生き方の追求・研究》
◇樹木希林の祝儀不祝儀3000円の冠婚葬祭
https://gamp.ameblo.jp/counselors/entry-12412226810.html
counselorsのブログ…より転載
◇樹木希林の祝儀不祝儀3000円の冠婚葬祭
「いさぎよく死んでいくということは、自らの生に執着しないことである」(島田裕巳・宗教学者)75歳で亡くなった樹木希林さんは、そんな一人だった気がする。生や死のあり方、生き方は人それぞれ。14年もガンと共存しながら芸能活動を続けた強さは、常に死と直面していた悟りだったかもしれません。
希林さんの「死生観」を詳細には知りません。「イニシエーション(通過儀礼)」の本質も、自らの病であったガンに遭遇することで会得されたのでしょう。彼女の死後、多くのエピソードが語られてきましたが、私が「いいね!」と思ったのが『誰であろうとも、祝儀・不祝儀は一律3000円と決めていた』ことだ。
希林さんは年収1億円は稼ぐ高額納税者。私が、冠婚葬祭はいつでも3000円の話を母親に話したら「まあ、ケチやね!」と、渋い顔をしました。母親は、希林さんのファンでした。美人じゃなく、庶民的なところが好きだったようで、祝儀や香典の額の少なさに意外性を抱いたようです。まあ、これが世間一般の感想かもしれません。
希林さんは冠婚葬祭については考えるとキリがないし、悩むのが無駄なことだと考える人でした。娘の結婚式に集まったご祝儀は、誰がいくら包んだかの確認もせずにそのまま赤十字に寄付したエピソードは有名です。
九州の田舎で、不祝儀3000円は決して安いわけじゃありません。常識内です。多くても5000円ですから。問題は祝儀で、今の相場は3万円から5万円じゃないでしょうか。私も、そのくらい差し出すでしょう。希林さんは、3000円と公言することで、結婚式に声がかからなくてもかまわない!と思ったのかもしれません。
希林さんは、普段から質素な人で、13年に雑誌『ヴォーグ』の表彰式には、娘・也哉子さんの古着をリメイクした衣装で参加したり、靴下も4足千円のもの。化粧品もリップクリームのみ。顔も体も石鹸だけ。シャンプーすら使わず髪の毛もお湯洗うだけだった。ここ10年、洋服は一度も購入なし。確か30年間、マネージャーもつけず、FAXと留守電だけでマネージメントも自分でされていた。経費削減よりも、マネージャーの生活を自分の生活の肩代わりさせる重荷をさけるためと聞いたことがある。
「人は死んだらどうなるのか、どこに行くのか」なる宗教の死生観を誰よりも認識されていたのかもしれません。希林さんと交友のあった諏訪中央病院名誉院長・鎌田實さんは「ガンを患うと、自分を見失うことも多いのですが、希林さんはそれがなかった。余命を考えた時に、身の回りの整理をして、欲張らなかった。断捨離の名人で、しかも決して周囲の評価を気にしない。自分の人生も俯瞰して見ていたんじゃないかと思います」
60歳を過ぎ、我が人生の時間がそんなに多くないことを知ると、誰もが断捨離を考えます。ただ、誰もスパッと整理できない。物欲がありますからね。ただ、モノは自分が死んだ後に誰かが片づけてくれます。でも、生きているうちに世間様に対して頑なな生き方は簡単ではありません。覚悟がいります。
「死生観」(仏教では「生死観」)は、死を前提としてから、いかに生きていくのか?が本質です。私も、希林さんのように「祝儀、不祝儀3000円」なる人生を送ってみたい。
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